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伊豆八十八ヶ所霊場④

第29番 龍豊院

創建当時は真言宗の寺院でした。 慶長年間(1596~1615)に、最勝院七世和尚を開山とし曹洞宗に改宗しました。 1879年に火災により全焼しましたが、1884年に再建しました。樹齢400年以上と云われる東伊豆町指定天然記念物の枝垂れ桜があります。

第30番 自性院

室町時代の1504(永正元)年に祖元によって開創され、1579(天正7)年に曹洞宗の法治となったと伝えられています。 1870年に火災により堂宇などが全焼したため、詳細な沿革は不明となっています。

第31番 東泉院

北条氏直の外臣であった金指筑後守が開山したもので、元は真言宗の寺院でした。 この金指筑後守が祀った本尊の聖観世音菩薩は役小角の作と伝えられています。 後に曹洞宗へと改宗しました。

第32番 善應院

開基時は真言宗高野山の末派で稲昌寺と称していました。 1616(元和2)年に曹洞宗に改宗し、その際に寺院名も善應院と改められました。

第33番 正定寺

創建当時は来迎庵という真言宗の寺院でした。 1598(慶長3)年に華山和尚により浄土宗に改宗しました。 1670(寛文10)年には、周辺を襲った大津波により寺院も大きな被害を受け、本尊だけがわずかに残ったと伝えられています。

第34番 三養院

創立年代は不明ですが、開山の竺仙宗僊が1511(永正8)年に没していることから、それ以前と推測されます。 開山当時は千手院という寺号でした。 後に、豊臣秀吉が小田原城を攻めた際、下田の鵜島城も攻撃され、時の城主であった清水上野介は降伏し、妻と息子とともにこの千手院に身を隠しました。 この3人を養いおいたことから三養院と改めたと伝えられています。

元第35番  栖足寺

河津川の河童を和尚さんが救い、お礼に不思議な瓶を得たという伝説が伝わる河童ゆかりのお寺で「河童の寺」とも呼ばれます。公式Webの寺伝によると、元応元年(1319年)、下総総倉の城主千葉勝正の第三子で、大覚禅師(蘭渓道隆)の直系弟子と伝わる徳瓊覚照禅師により開山という古刹です。

徳瓊禅師は文永六年(1269年)支那に渡り、文永十年(1273年)帰朝。
応長元年(1311年)に北条時宗の旗士、北条政儀が河津に建立した真言宗の政則寺に、元應元年(1319年)迎えられ禅寺に宗を改め栖足寺とされたと伝わります。

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