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伊豆八十八ヶ所霊場①

第1番 長徳寺

山号は瑞応山と称し臨済宗(禅宗)のお寺で、本山は鎌倉の円覚寺です。 本尊は延命地蔵願王菩薩で韮山史によると河越地蔵と記されています。お寺が開かれたのは、南北朝時代の延文年間と言われ、今から約六百余年ほど前になります。

開祖は大拙祖能和尚で太政大臣・足利義満の駿河州太守であった大江氏の信仰を得て、後に円融天皇より広円明鑑禅師のおくり名を与えられています。

元第1番 嶺松院

寺の言い伝えによれば、延暦年間(782-805年)に旅の途中であった弘法大師がこの地を訪れた際、多くの人々が難病に苦しんでいる様子を目にしました。 弘法大師はここに庵を建て、薬師三尊(薬師如来・日光菩薩・月光菩薩)・十二神将(薬師如来の眷属)を安置し、真言秘法百万遍を修法し、病気平癒を祈願して人々を苦しみから救ったとされています。

第2番 弘道寺

天正年間(室町時代)に福寿庵と称し創建された古刹で、本尊は行基作と言われる聖観世音菩薩です。 何度かの火災により、詳細な縁起は焼失しています。1857(安政4)年に、アメリカ使節のタウゼント・ハリスとその通訳であったヒュースケンが宿泊した寺としても知られていて、現在でも「亜米理加使節泊」の表札や、ハリスが使用した椅子が残されています。 天城七福神のひとつ・福禄寿尊が祀られています。

第3番 最勝院

吾宝宗璨を開祖とし、1433(永享5)年に創建された歴史ある寺院です。 五哲と呼ばれた優れた門下僧らにより、門派の寺は1400を超えます。自然豊かで、静かな雰囲気の境内には西国三十三観音札所を模した霊場があります。 秘仏である火防薩埵菩薩は、天狗の伝説にまつわるものです。

第4番 城富院

1542(天文12)年に最勝院七世笑山によって開かれた寺院です。 北條五代の祈願所でもありました。 1655(明暦元)年に火災で焼失、また1671(寛文11)年に山崩れで被災しましたが、1681(延宝9)年に再興され、現在に至っています。春には境内の「北條氏康公手植えの梅」が美しく咲きます。

第5番 玉洞院

焼失の為、沿革等は一切不明となっています。昭和49(1974)年に建築された本堂前には、枝垂れ桜の老木があります。 伊豆八十八ヶ所霊場の他、駿豆両国横道三十三観音霊場の第5番札所でもあります。 また末寺であった合掌寺を合併したことにより、伊豆中道三十三観音霊場の第31番札所にもなっています。

第6番 金剛寺

沿革等は不明です。1889(明治22)年と彫られた「豆州八十八ヶ所霊場」の版木が発見された寺院で、檀家を持ちません。 文化財級の貴重な仏像が安置されています。かなり朽ちてきていますので、皆様のご支援をお願いしています。

第7番 泉龍寺

1500(明応9)年開創の寺院で、かつては真言宗でした。 洪水被災により、現在地に移転となりました。本堂前の踏み石の下に、先代の住職が四国八十八ヶ所霊場より持ち帰った土が埋められていて、その上でお参りできるようになっています。 本堂に向かって左手にある釈迦堂では寝釈迦仏に参拝できます。

第8番 益山寺

空海の創建と伝えられています。山の上にある寺院で、参詣には30分ほどの坂道を上る事となります。 参道脇の西国三十三観音をはじめとし、境内にも多くの石仏が祀られています。 県指定の天然記念物である大楓と、市指定の大銀杏が本堂前に聳えています。 伊豆横道三十三観音の第6番札所でもあり、1773(安永2)年の御詠歌が残されています。

第9番 澄楽寺

791(延暦10)年に、弘法大師によって開創されたと伝えられています。伊豆八十八ヶ所霊場の中でも歴史のある寺院です。 桂谷二十一ヶ所巡礼の第9番、伊豆中道観音霊場の第27番札所でもあり、それぞれ1915(大正4)年2月と1902(明治35)年9月に書かれた御詠歌が残っています。 また、至近の龍源院の枝垂れ桜が美しく、春には多くの人が訪れます。

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