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伊豆八十八ヶ所霊場②

第10番 藏春院

第10番蔵春院は、第9番澄楽寺からほど近い田京(たきょう)の地にあります。1438(永享10)年に起こった永享の乱で、主君の足利持氏を死に追いやったことに責任を感じた関東管領の上杉憲実が、菩提のために建立した寺院です。 また、憲実から寺院建立を懇請された宗能禅師がその造立の際に、この地に棲んでいた悪龍を鎮めたという龍神伝説が残ります。 1947(昭和22)年に全山の七堂伽藍を焼失しましたが、1978(昭和53)年11月に本堂が再建されました。西国三十三観音霊場を模した霊場があります。

第11番 長源寺

2005(平成17)年で創建500年を迎えた寺院です。北條早雲が榛原の石雲院より当寺に虚庵玄充を招き、当初は石雲院末でしたが虚庵が修禅寺第二世として普住したため以降は修禅寺末になったと伝わります。 かつては真言宗であったと云われています。トイレの神様である烏蒭沙摩明王(うすさまみょうおう)を祀るお堂があり、毎年8月25日には例祭が行われます。 8月から9月にかけて、境内の百日紅が美しく咲き、参拝の人々の目を楽しませます。

第12番 長温寺

1562(永禄5)年、僧・瓶山により開創されました。 本尊の薬師如来は、かつてこの地近くで討ち死にした豪族が守護仏として常に護持していたものと言われています。 その後衰微していたが、1620(元和6)年に再興され、曹洞宗として開山しました。春になると枝垂桜の美しい境内には、かわいらしい童地蔵や仏足石を目にすることができます。 また、源氏山七福神の福禄寿が祀られています。 湯谷山という山号の通り温泉と縁が深く、本尊が薬師如来であることからも、病気平癒を祈願する参拝者が多く訪れます。

第13番 北條寺

源頼朝の正室・北條政子の弟である北條義時が創建した寺院です。義時の嫡子である安千代が領内の大池で大蛇に襲われ命を落とした際に、この北條寺を墓所として七堂伽藍を建立し、運慶に仏像を作らせた。この祈願仏が、運慶の貴重な木造阿弥陀如来座像として知られています。 また、境内には義時夫妻の墓所があります。 寺院名の通り、北條氏と縁の深い寺です。 1~2月にはロウバイが見頃となり、9月には珍しい白いヒガンバナを目にすることができます。 伊豆八十八ヶ所霊場の他、横道三十三ヶ所霊場の第8番、中道三十三ヶ所霊場の第16番の札所となっています。

第14番 慈光院

かつては真言宗の無住寺院だったが、1510(永正7)年に曹洞宗に改宗し、再興されました。伊豆八十八ヶ所霊場の他、中道三十三ヶ所霊場の第11番の札所となっています。

第15番 高岩院

五山十刹のひとつとされた国清寺に隣接し、かつては79あった塔頭のうちの一寺です。国清寺とともにあじさいが美しい寺院です。

第16番 興聖寺

延徳元年、南渓によって創建された寺院という以外の沿革は不明です。町指定有形文化財である見事な鹿の襖絵や、境内には、隠れキリシタンの信仰と思われるマリア観音像があります。

第17番 泉福寺

火災により焼失したため、創立年代等は不明です。 しかし、初めは元屋敷にあったものを1206(元久8)年に中ノ坪に遷移し、更に1742(寛保2)年に現在地へと移転したと伝えられています。境内中央で1762(宝暦11)年に建てられた宝篋印塔を見ることができます。

第18番 宗徳院

延暦年間(901~902年)に空海によって創建されました。 伊豆に流刑されていた源頼朝が挙兵後、鎌倉に入るまでの100日間、本尊の延命地蔵菩薩を祈願佛として詣でたと云われています。 後に、境内で自刃した甲斐武田の2人の家臣を弔うために、荒廃した堂宇を再興し、その際に真言宗から曹洞宗へと改宗しました。 1814(文化11年)8月に火災で寺宝や過去帳などが焼失しましたが、本尊の延命地蔵菩薩は無事でした。境内には、今も自刃した武田家臣の「道乗・道吉君之墓」が残ります。

第19番 蓮馨寺

1289年に、浄土宗の僧である星誉によって開創された由緒ある寺院です。 しかし、豊臣秀吉の小田原征伐の際の三島焼き払いで焼失した他、類焼や震災、明治期の大火による火災を重ね、沿革は不明となっています。寺内には日限地蔵尊が祀られ、毎年8月23日には日限地蔵尊の大祭が営まれます。 また、山門右側には、「いざともに ほむぎくらわん くさまくら」の句が刻まれた芭蕉の墓が建てられています。 住職が松尾芭蕉の弟子だったという縁から建てられたものです。

第20番 養徳寺

1387年に用固という僧によって開創されました。 1789(寛政元)年10月に火災によって堂宇や記録などが全て焼失したため、詳細な沿革は不明となっています。見どころは、見事な枯山水の石庭。

第21番 龍澤寺

1761年3月に白隠によって開山したとされますが、それ以前から臨済宗の寺院として在り、空海によって開創とも伝えられています。 一時期荒廃したものの、大正期に山本玄峰によって修行のための寺として再興されました。ツツジや紅葉の美しい寺院です。 毎年11月23日には観楓祭として、絵画や掛け軸などが虫干しされ、一般公開が行われる。

【接心修行の為、境内にお遍路であっても入場できません。】
1・4・5・6・7・10月の17日-25日
11月の14日-22日
12月の1日-8日

第22番 宗福寺

1590年に豊臣秀吉が小田原を攻めた際、出城となった山中城で出た戦没者を追悼するために創建された寺院です。

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