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伊豆八十八ヶ所霊場③

第23番 東光寺

271(応神2)年に伊豆山の浜辺に現れた不思議な光る鏡が、西の峰に消えました。その様子は日輪のように見えたことから「日が峰」転じて「日金山」となりました。 2年後の273年に松葉仙人がこの鏡を祀り、祠を建てたことが開山の起源といわれています。 現在本尊とされている延命地蔵菩薩は、源頼朝に依るものです。

伊豆地方の死者は日金山に登るため、彼岸の時期に日金山に行くと会いたい人の姿を目にすることができると言い伝えられています。 そのため、彼岸には多くの人々が先祖供養のために登山します。 1582(天正10)年12月、徳川家康の命を受けた朝比奈弥太郎が日金山を下る途中、6尺を超える大男と出会いました。この男は死者を迎える鬼であったという伝説が残ります。

第24番 般若院

伊豆山神社の別当寺であった走湯山東明寺が全身です。 徳川家の厚い崇敬を受け、寺号を改めた際も徳川家康によって命名されたと云われています。大師堂には、弘法大師自ら刻んだとされる等身大の大師像が安置されています。 また、境内には足湯があります。

第25番 興禅寺

藤原藤房が出家し、名を授翁と改め、この地を訪れた際に創建されました。 本尊の十一面観世音菩薩はこの授翁の護身仏であると云われています。 その後、一旦寺院は荒廃しましたが、寛永年間に再興されました。春には枝垂桜が美しい寺院です。 以前は天然記念物の金木犀がありましたが、枯死してしまい、現在は2代目が育てられています。

第26番 長谷寺

行基上人が網代の屏風ヶ岩で修行していた時、付近に漂着した霊木から観音像を彫り、洞窟の中に安置したと云われています。この霊木が奈良県の長谷観音像を彫った木の末木であったことから、奈良・鎌倉の長谷観音と共に「一本三体観音」とされています。 古くは真言宗に属していたと伝えられています。境内には石の観音像群や、東海呑吐の句碑があります。

第27番 東林寺

開創当時は久遠寺という名の真言宗の寺院でした。 東林院殿寂心入道という祐親の法名にちなみ、現在の寺院名に改称、1538年には曹洞宗に改宗しました。日本三大仇討ちのひとつ「曽我兄弟の仇討ち」で知られる伊東祐親の菩提寺です。 工藤祐経に殺害された嫡男の河津三郎祐泰の菩提を弔うために祐親が出家した寺です。 伊東七福神の一柱、布袋尊が祀られています。

第28番 大江院

かつては真言宗の寺院で、正式名称は圓光庵蓮台寺、俗称が大江庵でした。 1540(天文9)年に、最勝院十二世台翁宗銀によって曹洞宗に改宗、名も伊雄山大江院と改称しました。1912(明治45)年の日付が記された「伊豆八十八ヶ所納経帳」がこの寺院で発見されたことで、巡礼地の掘り起こしが始まり、霊場復活となりました。

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