第49番 太梅寺
1046(寛徳3)年に行脚中の真言宗の僧が、この地に至った際に求めていた霊地だと感じ、人々から浄財を集めお堂を建てました。 明星山満珠寺と名づけ、地蔵尊を本尊として奉りました。 寺院の裏山には寺の鎮守として、稲荷神社が勧請されました。 後に寺名を改めて太梅山深居庵とし、臨済宗に改宗しました。 更にその後の1557(弘治3)年には曹洞宗に改宗し寺院名は深居山太梅寺となり、1852(嘉永5)年に現在の山号に変わったと伝えられています。
第50番 玄通寺
かつては下田市との境にある小松野山の頂にありましたが、何度もの火災に遭い記録が焼失しているため、創建年等は一切不詳となっています。 しかし開山の玄翁心昭が1396(応永3)年に入寂していることから、草創はそれ以前と考えられます。 1911(明治44)年に庫裏が、翌年に本堂が現在地に移されました。
第51番 龍雲寺
1284(宝治2)年に真言宗の寺院として創建されました。 永禄年間(1558~1570年)に曹洞宗に改宗となりました。
第52番 曹洞院
幾度かの火災のため記録が焼失してしまっていて、詳細な沿革は不明となっています。 かつては弘法大師修行の霊蹟で大師山とも言われる真言宗の大刹でした。 戦乱で焼失した後、1525(大永5)年に七堂伽藍を再建、その際に曹洞宗へと改宗しました。 1593(文禄2)年に山火事で類焼しましたが、1596(慶長元)年に再建されています。
第53番 寶徳院
858(天安2)年、中国の長安にある青龍寺で学んだ僧が帰国する際、千体仏を積んだ船で遭難し、吉佐美の浜に打ち上げられました。 その千体仏を安置するために立てた庵が寺の始まりと伝えられています。 源頼朝が崇敬したという本尊の不動明王も、この千体仏の一体と云われています。
第54番 長谷寺
天平年間(729~749年)に行基によって開創されたと伝えられています。 元は真言宗古義派に属し、西老山昌善寺と称しましたが、1545(天文14)年に現在の浦岳山長谷寺と改称しました。 1655(明暦元)年に曹洞宗に改宗しました。
第55番 修福寺
奈良県奈良市の大安寺の別院として開創された石門寺という寺院でした。 所在地は開創時は南伊豆町青市に、その後手石、現在地である湊と変遷しました。 その際、名を飯盛山修福寺と改め、曹洞宗に改宗しました。
第56番 正善寺
古くは真言宗の寺院で詳善寺と称していました。 寛永年間(1624~1644年)に修福寺五世嶺屋秀雪が開山となって曹洞宗に改宗し、現在に至ります。
第57番 青龍寺
享保初期の火災で記録の一切が焼失しているため詳細は不明であるが、1225(嘉禄元)年開創と伝えられています。 現在の本堂は1720(享保5)年に建てられたものです。